シリーズものとの向き合い方

もう、シリーズものを遊ぶにあたって迷わない気持ちの話です。

随分と前から構築されていた思いでもあるのですが、今回
真・女神転生4で遊びながらも改めて実感したので書いてみます。
もしかすると過去に似通ったものを書いているかもしれませんが、
そこはご愛嬌ということで。

●比較をせずに遊ぶ
ナンバリングされているゲームソフト(FFとかDQとか真・女神転生とか)
がいくつもありますよね。そういったゲームソフトはここ2年くらい
出来るだけ遊ばないようにしよう。という縛りの中でゲームソフトを購入して
いるのですが、時と場合によって購入することもあります。
(例:買いたいと思うタイトルがソレしかなかった時)

そもそもそうやって買わなくなったのには理由もあります。
シリーズタイトルには随分とお金をつぎ込んだよね?
という思いと、出来るならば新規タイトルを遊んでもっと新しい
刺激を求めてみたい。というものです。
前向きな理由で、悪くはないなぁと自画自賛していたのですが、
もうひとつ別の気持ちもあります。
シリーズものを遊ぶと必ずやってくる
「過去の●●と比べると~」「シリーズの中では~」
というマニアックなファンの方々で交わされる比較感想。
それが、非常に煩わしいのです。

かくいう私も学生の頃やらは「新作のFF●●は全然だめ!信じられない」
なんて言っていたり、ブログでも書いていたクチですが、年を経て
シリーズを用いた批判があまり面白くないと感じるようになりました。

シリーズごとの変化を見ていくという意味合いでは面白いのですが、
個人的な遊んだ思い入れの乗っかった批判は、どうも共感できません。
それは自分の遊んだ思い入れと異なるからで、仕方のないところです。
そう感じるようになってからは、シリーズ作品でありながら
「これはひとつのゲーム」と意識して遊ぶようになりました。

丁度、Wii/WiiUでサービスされているドラゴンクエスト10を遊んでいますが、
あれもドラゴンクエストのひとつのカタチと認識しながら、オンラインゲームの
ひとつという意識で遊んでいます。ここに、過去のシリーズに対してどうこう
という考えは挟みません。

●ありのままを受け止める
要するに、ゲームソフトとしてありのままを受け止めるということです。
その延長線上としてシリーズタイトルと比較して、この要素は完成されていなかったね。
ゲームとして満足できたね、出来なかったね。そういう考えを広げていく
ことはあります。シリーズものだからと言って、その型に当てはめる
必要があるのでしょうか?私はそういう心理は可能性を狭めてしまって
結果として面白くないことになるのではないか?と思います。

そのシリーズタイトルを手がけられている人たちも、いつまでも生きている
とは限りません。いつかはいなくなり、それでもシリーズタイトルが
望まれるなら異なる方々が手がけることになるのです。
そうなった時に新しい方々は、過去のシリーズタイトルを手がけられた
方々のコピー人間として発想の完全なる模倣・製作が出来るのでしょうか。
簡単には出来ないことくらい分かりますよね。もしそれが出来たとしたら
該当タイトルの相当な研究をされていると思います。

結局のところ、同じことは繰り返されないのですから
それならば単純にゲームソフトとして楽しめるかどうか。
まずそう向き合うのが私は合っていると思い続けています。
そうやって向き合ったあとの消化過程の中で、考える形を変えて
「シリーズとして考えると…」というのは大いに楽しいですが、
それをこうやってブログなどの形で他の人に見てもらうのには
ちょっと勇気が必要ですね。

押してもらえるとやる気が出るそうです

あーにゃ
あーにゃです。テレビゲーム好きが高じて、遊んだゲームソフトの感想を記すことが好きです。子どもがいますので、子どもとゲームの付き合い方に一家言あります。テキスト作成でご依頼ありましたら、メールフォームからお問い合わせください。

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