Twitterを利用して10年が過ぎ思うこと

このブログの仕組み(wordpress)を使ってからも長いですが、Twitterも使い続けて10年になったそうです。

そんなに続いているサービスだったかな?と思ったのですが、なるほど私が沖縄を離れる前に使い始めたことを考えれば、確かに10年くらいにはなりそうです。当時は設定画面が英語表記で、英語が苦手な私は面倒くさいと思いながらも、そこは、ブログやプログラムでも見かける言葉も多かった都合、なんとなく馴らしていじり始めた記憶があります。

ウェブサービスで10年続くということは、そう簡単なことではないと思います。そもそも、新しいことが10年続くというのは奇跡に近いような印象があります。ですからTwitterが10年以上続いていることは驚くべきことです。この印象とは別に、ここでは私が、簡易的コミュニケーションサービスを利用して感じていることを全て置いていきます。このブログ内でこういったサービスについて語ることは一切ないでしょう。記念碑的な意味合いと、簡易的なコミュニケーションサービスを使うにあたり、配慮しようと思っていることについて記します。

Twitter利用のきっかけ

ウェブサービス系へのアンテナは欠かしていなかった私ですが、沖縄時代の当時の感覚を掘り起こすと、海外でTwitterという簡易ブログ的なものに流行の兆しがあると目にして、実際にページを確認しても「まあ、ブログで事足りるよね。」そういう意識がありました。ブログを記していた手前、どうしても少ない文字数に抵抗がありました。短い文章で的確に自身の感覚を語ることに心配がありました。これは、学生の頃に手にした携帯電話・PHSのショートメールによる影響がありました。短い文章は略しすぎるが故に、それを読んだ人と自身の感覚に違いが出る。そういう過去の経験がTwitterの利用を踏み留めていました。

が、ブログよりも他者と交流しやすい仕組み。。。。という点において、沖縄を離れることが近くなった私は「沖縄で既知になった方々とTwitterを利用して繋がり続けたい」と思うようになりました。
当時は、子どもの出産を控えながらも、現地での知人も増え楽しく過ごしていましたので、社会的な苦楽を共にしながら得た知人たちと離れがたくありました。そして、新天地(福岡)に赴くにあたり、Twitterを通じて得られる情報を活かそうとも考え、Twitter導入を決めたのでした。

今思うと、旦那さんの転勤で、住んでいた土地を離れるにあたり、飛行機内で涙を落したのは沖縄時代のみでした。
それだけ、私にとって沖縄という土地は、辛く・楽しく・社会を学ぶ熱い場所でした。

そういう場所で由縁のあった方々とTwitterを通じ、今でも繋がっていられることは、大変ありがたく、以後~現在の力になっています。。。。。。。。が、同時に、Twitterを始めて(10年前既に)違和感を感じていました。それは、私が日常的に目にする文章に、私の精神を侵すものがあるということです。

そのフォロワーをどうするか

ブログの仕組みというものは、ホームページと大差ありません。閲覧者がネット上で情報を調べる延長で閲覧される「場所」であり、更新を続ける管理者からすると「自分の場所」です。ブログのコメント欄などにおいては他者の感覚が介入しますが、排除も容易く、管理者の感覚によってはそれらのコミュニティツールを完全に閉じてしまうことも可能です。ですが、Twitterのタイムライン上はそうではありません。フォローした相手のツイートが流れ続け、フォロワーには自身のツイートが流れ出します。ご縁で既知になったアカウントをフォローしたとして、実際にお会いする方の素振りとツイートの内容は大変異なる時もあるということを、沖縄時代に知りました。そしてそれは、他者からの干渉は自身が認めた人であれば可とする。としていた私にとっては、新しい挑戦でした。

大量の他者のことばを目にすることを拒んでいた私ですが、これは、もしや様々な感覚を知る機会では?と思い、Twitterにおいては門戸を開き・可能な限り受け入れられるように努めるようになりました。それにより、新たな知見を得られるようになったのは確かで、人の感性の奥深さと浅ましさを改めて知覚することになり、苦しくも時に楽しい時間が続きました。それはもうずっと前、インターネットを知った時と同じ感覚でした。

得られた喜びと

私は、こうやって自分の印象を文章化することを、自己確認として長々と続けてきました。そうすることで、鏡のように私を見つめなおし、私の形を認知し、私が自身の手触りを、熱を理解し、今、私はこのような形であると感じ取ることが出来ます。ですから、ふと自分のTwitterへの何気ない投稿を見直すことで、ブログよりも一瞬よりも細い自分の感覚を得ることが出来ました。が、それは同時に独りよがりな文章であり、他者がそれを目通しすることで、私が本来イメージしていた言葉と異なる捉えられ方をしたこともたくさんありました。

挙げるならば、東日本大震災の折もそうなのですが、それよりも、私が一番、違和感を覚えたのはDSLiteの発売が発表された折でした。

これは、今でも印象に残っていて、忘れられることが出来ません。
当時親しかったフォロワー・ブログ時代から親しかった方々からもご意見を頂いたのですが、それでも私は、自身が感じた世の中のゲーム好きの方々の熱狂とははるか遠く、任天堂さんに憎悪の念を抱いていたことは忘れることがありません。ゲーム小売店で働かせてもらっていた私は、そこで様々なお客さんの気持ちを改めて知りました。手に入りにくいDSをやっとの思いで手に入れた人が、この新機種の発表を目にしたらどう思うのか。せめて、予告なり何らかのクッションは用意出来なかったのか。そうすれば、あの笑顔が数日もせず途絶えることはなかったのに。と、思うのです。

ちょっと感受性が強すぎますよね。このように文章に綴りながら、私も引きます。
それは、ただその一瞬手も触れなかったかもしれない他人なのに。でも、希望の品を受け取る姿の喜びを見てしまったからこそ、私は、バージョンアップ・マイナーチェンジの良い意味合いも分かりながら、受け入れることが出来ませんでした。

そういう、込み入った私の気持ちは、Twitterのツイートでは反映できませんでした。私の文章力の劣るところが大きくもありますが(以下様々な問題を考慮して割愛します)と、思う部分があるわけです。マイルドに記すならば、その10年前と今も任天堂さんの販促とか営業は変わりがないのか?それとも、今はあのようなことはなくなっているのか?気になるところではあります。まあ、そういうメーカーさんは任天堂さん以外にもあるのですが。。。。。。

Twitter、やめよう!

向かないとは思っています。
私は、ただ冷静な場所で言葉を懸命にひねり出し、形を整え「わたしはこう思います。」という形を文章で作り続けた者であり、タイムリーに流れ続ける様々な方々の主義主張を縫い言葉を飛ばせるような人間ではありません。

が、もう時が、それを許さなくなりつつあります。
私が大切に思っている人たちがTwitterを経由して多く存在しているのです。

もちろん、その後ツール以外を通じ親しくさせて頂いている方もいますが。。。。。

そういう、私が様々な場所を転々とする中で場所・機会に捉われず、親しく接してくれる方々との繋がりは、失い難く、Twitterを使う上で感じる不快感があったとしても、それでも、この手を伸ばしていたいと思っています。

Twitter、ここがおかしい

はっきり書くと、なぜリツイートで「煽る」ような言葉が飛んでくるのか。
明確な憎悪ではなく、ですが、明確に誰とも知らない他者に向け知覚することが可能なレベルの憎悪を織り交ぜて、言葉を飛ばしているアカウントが多いです。

特に大きな問題が発生した場合に、このような言葉の使われ方に多くが反応し、つまらない騒ぎになっています。事件・選挙・世界情勢。。。。。煽らなければ、悪意をひとつの方向に延ばさなければ、生きていけないのでしょうか?。。。。。私も、悪意を持つことがありますが、それは特定のベクトルを持たせた悪意ではなく、ありとあらゆるモノに向けた憎悪であり、誰かを・何かを貶めたいと願うものではありません。

特に直近の選挙において、喧嘩腰のリツイートが散見されましたが、喧嘩をしてどうなるというのでしょう?(ハロウィーンのゴミ関連についても喧嘩腰の言葉が多かったですね)。。。。。そういう、言葉の汚さが、自身だけではなく他者を汚染し、本来必要な議論・冷静な論理を逸脱させているように感じます。そして、そういうところが、大きなマスメディアで「話題に」と報じられることもあります。

私も、言葉を消費するだけの、矮小な、いつ死んでもよい、比較的価値の低い生き物ではありますが、それでも、言葉を選び、リツイートするなら情報の充実を自身に問い、利用しています。そういう、緻密な選択は必要ないのかもしれませんが、だからといって、汚い言葉の羅列で、精神が汚染されることは、生きる事よりも辛く、時に耐えがたいです。

ですから、どれだけ親しくあったとしても、必要に応じて、ミュートやリムーブ・RT非表示といった機能を活かしてはいますが他のアカウントの「いいね」だけは消すことが出来ません。他の利用者が何を「よい」と思おうが一向にかまわないのですが、それはフォローし合っているアカウントとは一切関係なく、それほどまでに他者の趣向を受け入れることが叶わない自分にとっては精神汚染の何物でもありません。。。。。そういったことをTwitter社は理解してほしくもあります。。。。

ですから、今はこの10年使っていたアカウントを手放しつつあります。
私の望みは、親しくありたい人たちとそれとなく連絡を取り合い、コミュニケーションできることであり、それは別にTwitterでなくともよいと考えています。

追記

朝起きて、再読すると、文章が散らかっていたり、適切でない表現・誤字がありましたので修正しました。

そしてフォロワーさんから、以下のテキストをミュートに追加すると「いいね」関連の表示が減ると教えて頂きました。


困っている方はお試しください。。。。。

7 人がよいねしてくれました

あーにゃ

あーにゃです。テレビゲーム好きが高じて、遊んだゲームソフトの感想を記すことが好きです。子どもがいますので、子どもとゲームの付き合い方に一家言あります。テキスト作成でご依頼ありましたら、メールフォームからお問い合わせください。

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