作られるものを愉しむという尊さ

どうにも、自分自身が「作る」という行為に興味津々なので、うっかり手を出してしまっては、その難しさに苛まれながら、世の中にあふれている物に対して愛着を持ってしまうのです。

せっかく11月は更新をやりますよと書いてしまった手前、書き出しのエントリは、こうしようと思っていました。
沢山ある様々な物。無駄とか、余計とか、言われたりもしますけれども、それでも誰彼が形作ったモノだと考えると、急に愛おしくなるのはおかしいでしょうか。

どんな迷惑な人であったとしても、それが誰かと誰か(何か)が通じ合って作られた人なのだと考えると、そこに何らかの意図があったのだと思い、淀んだ考えが薄らぎます。誰かの(意図した)人の子なのだと。

子どもの頃から作る行為に執着した私は、作り続ける人でありたいと意識していたのかもしれません。
ですから、作る術については敏感で、独学を含め一定の知識を得ました。

まずは身近に作る調理…。特に幼い頃、母が徳之島で作ってくれたパンやケーキ(当時は日によって卵を得るために島内一周して販売しているお店を探したような時期で、このような調理は非常に貴重だったと思います)、工作で言えば…父親の日曜大工(その影響で未だ私の鉛筆・箸の持ち方は一般的な方からのそれとは大きく異なります:ガス溶断で切断した直後の金属片を直に指で掴んで大やけど)、そういう風景に身近に触れていて、関心が強かった記憶があります。

作られる過程を見て、興奮する自分。
仕上がったものを見て、自分もやってみたいという意欲。
うまくいかないという挫折。

子どもの頃は挫折ばかりでした。
作りたいと思っていたものが、思い通りに作れなくて、悔しがったり、時に両親に(貴重な品を破損してしまったりもしたので)叱られる日々。

ですが、そういう試行錯誤を重ねる中で、物を作ることが嫌いにならなかったのは、出来上がったものの有難さを感じていたからでしょう。

祖父母が身近に農業を営んでいましたので、一年間を通じて作られるお米の大変さ、収穫する時の喜び、食べる時の嬉しさ。他の作物も同等に、その過程を経ることで、自分たちだけではなく、その食べ物を提供する人たちに喜んでもらえる現実が近くにありました。

母は、私がある程度成長するまで、専業主婦でした。家族が喜ぶかも?と思いながら工夫を凝らして様々な食事を作り、菓子をふるまい、裁縫、植物の世話、そういう、今の時世では多くはないかもしれない、良い嫁であれをある程度体現した人でした。

父も、拠点となり得る交通設備を作る人でした。家に何か物理的な問題が生じる時は、丁寧に調べ、適切な答えを導き出し、必要に応じて可能ならば自身の力でより快適な道具を作り出す人でした。

それぞれに、それぞれに作られたものは共感を得て、沢山の人に喜んでもらうそういう生き方を私は見てきました。

ですから、私は、空気がこの世の中にあることが当然であるように、様々に形作られているものに喜びを感じます。そうして、私も自分が作るものがあるとすれば、誰かしらとその作られたものの喜びを分かち合いたいと考えてしまいます。非常に、感情的な面倒くさい気持ちではあります。ですから、この気持ちに一時期蓋をした時もあります。

そうして、しばらく、世の中はなんて詰まらないのだろうと思いました。(中二病ダネ!
ですから、また肯定をするようになったわけですが、私が生きている時代は、あまりモノの価値を考えない時代のような気がしてなりません。

自分が感じる心地よいモノはどこにあるのか?そう考えて買い物に出ると、実際にお金を払うものはそう多くありません。衣服・雑貨・このブログを読まれている方が喜ばれる例とすれば、ゲームソフトもそうです。私の心の琴線に触れるものを選ぼうとなると、数は自然と限られます。

それでも私は、私が実際に触ることはなくとも、現れる沢山にモノについて、一定の敬意を払いたくあります。そこには、誰かの相応の試行錯誤があったわけですから。誰かの、願った形があるわけですから。

ですから、やむを得ず自身の主義主張を伝える為に、好ましく感じられなかったことを伝える際にはかなりの注意を払います。言葉を選び、その言葉を提供する場所を選びます。TwitterやSNSではそれらを適切に伝えられないと考えていますので、私はやはりこのブログに回帰すべきなのだと考えました。

作ることは容易いことではありません。時間、材料、経験…作ることを放棄した人には感じることが出来ない葛藤がそこにはあります。これが、理解されていない事なのではないでしょうか。それらを評価し、価値を与えること。それが作ることを忘れた方々に気付いてほしい事だと思います。

私はかねてから、このブログ(文章)には、まるで価値がないと考えていました。
ですが、もし価値を付与するとすれば、様々な方々が作られるモノに対して真摯に向き合うこと…には多少価値があると考えます。私は私自身の文章について評価されるつもりはありませんが、私が触れたモノに対しては、他の誰かが触れることで愛着を持って頂きたいと考えています。

その為でしたら、私は、もう少しだけこのブログに、私が触れたものの『感想』を記したいと考えています。

8 人がよいねしてくれました

あーにゃ
あーにゃです。テレビゲーム好きが高じて、遊んだゲームソフトの感想を記すことが好きです。子どもがいますので、子どもとゲームの付き合い方に一家言あります。テキスト作成でご依頼ありましたら、メールフォームからお問い合わせください。

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